私も、新人だった頃は、自分が作成した契約書のドラフトを上司によく添削して貰っていました。
ドラフトが修正履歴で真っ赤になって返ってきたときは、悔しい思いもしましたが、今になって振り返ると、恵まれた環境にいましたね。
その頃に上司から言われたことで、記憶に残っているアドバイスの一つが、
「契約書は、できるかぎり権利の形ではなく、義務の形で表現すべきだ。」というものです。
たとえば、私が、
「~の場合、AはBに対して損害賠償を請求できる。」と書いた部分は、
上司によって
「~の場合、BはAに対して、損害を賠償しなければならない。」という表現に修正されていました。
損害賠償を請求できるということは、相手が損害賠償義務を負うことの裏返しなのだから、どちらでも同じじゃないか、と内心反発もしました。
しかし、今では、義務の形で表現できるのに、権利の形で表現されている契約条件を見ると、どうにも落ち着かない感じがして、すぐに修正してしまいます。
英文契約の場合、
Party A is entitled to claim any damages arising out of ~ against Party Bなどと書かれていたとすると、
すぐに当事者を逆にして、
Party B shall compensate Party A for any damages arising out of ~ などの表現に修正します。
国内契約、英文契約、いずれであっても、権利は、義務と比べると、多少不明瞭な部分があるように思います。
たとえば、「請求できる」という権利の形で表現されていると、
「請求はできるかもしれないが、それに対して、相手方は、必ずしも、従う義務はあると言えるのか?」
とか、
「請求されないかぎり、相手方は、支払わなくてもよいのか?」 とか、
法務部や弁護士の経験が長くなってくると、だんだん、ひねくれた考えが浮かぶようになってきます。
これが職業的懐疑心というものなのでしょうか。
契約業務に疲れてきたら、たまには、クリエイティブな仕事にも取り組んで、素直な気持ちを取り戻すことも必要かもしれませんね。
ではでは、お疲れ様でした。